セクシャリティについて その2.宇宙の常識は、現実の非常識

 

セクシャリティについてのその2は、

宇宙的視点、

現実的視点から見た、

そのセクシャルな行為についてを書いていきたいと思います。

 

タイトルにしている、

 

「宇宙の常識は、現実の非常識」

 

という言葉は、

 

スピリチュアルな世界をかじっている人ならば、

知っている言葉かもしれません。

 

でも、本当にその通りだなぁって思います。

 

それは例えば、

SEX」という行為。

 

日本では、小学生の頃に保険の時間で、

授業として学ぶことになっていますが、

まぁ、大概が、それまでに知識として、

何らかの情報を得ているのかと思います。

 

私も幼い頃に、

 

「もっこはどうやってここに来たの?」

 

と、何度も父と母に聞いた記憶があります。

 

それは、幼いながらに、

何故こんな(地球)所にきたのかが理解できず、

一刻も早く自分がいた星に帰りたかったからで、

必ずや本当の親が迎えにきてくれるのだと、

心から信じていたのもありまして^^;

 

けれど、両親は、

 

「橋の下で拾ったんだよ~」

 

などとふざけるわけです。

 

それはそれは痛く傷つき、

私は、故郷の星から橋の下に捨てられたのだと、

幼い心は傷ついたものでした。

 

両親は悪気などなかったことも、

後で理解はできる様になるのですが、

こういう風に子供に聞かれた時、

 

「パパとママが愛し合って、愛し合う場所から貴方は生まれてきたんだよ」

 

と、言える夫婦って、

日本にはどれくらいいるのかなぁって、

ふと思いました。

 

かくいう私も、

子供にそう聞かれた時に、

上記の様に素直に言える心持ではなかったので、

前半はハショって^^;

 

おまたのね、

おしっことうんちの穴の間にもう一つ穴があって、

ママのお腹からそこを通って、

よいしょよいしょって出てきたんだよ。

 

って、

とてつもなくリアルな返しをした覚えがあります^^;

 

人は、愛する人ができた時に、

一緒に居たいと思う。

繋がりたいと感じる。

そして愛の元にSEXをする。

そこに新しい命が生まれる。

命がさずからない場合は、

2人の愛の光が生まれる。

 

という、

とてもシンプルなものだと思うのです。

本当なら愛し合う行為というものは、

何も恥ずかしいものでもなく、

手を繋ぐのと同じくらいに、

自然な行為なのに、

 

何故、人は、

人前でも、

堂々とキスやハグをできても、

SEXはできないのだろう。

 

って、

勿論自分もできないけれど()

とっても不思議に感じる様になったのは、

魂の伴侶に会ってからかもしれません。

 

もしくは、

今、本当に愛するお方に出会っている方は、

同じ様に感じる人が中にはいるのかもしれません。

 

愛する者たちが行うその行為は、

それぞれの意識の覚醒と、

身体本来の生命力の活性と、

それらから漂う波動は、

本来、周りをも幸せにする程のものです。

 

その行為が、いわゆる、

私達の現実にある、

知識としてのSEX感とは、

かなり違う事については、

次に深く書いていきますが、

簡単に言えば、

お互いが心から愛し合い、

心から許し合い、

技術や、体位などにとらわれることなく、

意識と身体で融合した時の恍惚感は、

言葉にできないほど美しく、暖かな、

神性な領域に限りなく近づくことができるのです。

 

古代の女神時代から、

男性社会の二元性時代に変化した理由は、

SEX」という神聖な行為は、

女性を通して宇宙エネルギーを、

男性が味わうという事の事実を、

「優越」という視点で見た時に、

「女性」という存在を恐れ、

また、直感的能力に優れた女性に、

同じ様に恐れを抱き、男性の配下に置くために、

聖書が改ざんされたり、

その行為自体が汚らわしい物として大衆に認識させて、

本来の神性なセクシャリティを封じ込めていったとされています。

 

ここから、

いわゆる競争精神の男性性の社会が始まっていくのですが、

 

個人的見解は、これも、

今、この時代に敢えて、

男女それぞれが、

個々人の性の統合をするために

宇宙の設定の内だったのだろうなと感じています。

 

これらの統合の変容の為に、

時代時代、沢山の歴史と経験をしなければ、

きっと気づけなかった事が沢山あって、

今の地球にいる人達の意識の変化を産んでいるのだと。

 

ならば、

SEX」という行為さえも、

改ざんされた聖書ではなく、

歪められた認識ではなく、

本当に宇宙が私たち人間に、

伝えたいのは、

SEXという行為自体が、

神性な「神の行為」であることを、

思い出す時がきたのだということなのだろうと。

 

これは、老子も説いていますよね。

 

SEX」とは本来、

恥ずべき事でもなく、

隠すべき事でもなく、

神性な輝きを生み出す行為であると。

 

勿論それは愛の元に。

 

あなたに今、

セクシャルな関係の相手がいるのなら、

そこに愛はありますか?

 

て、昔のドラマのセリフではないけど、

セクシャルな行為に限らず、

全ての行為にそれは繋がる気がするんです。

 

だから尚更、

愛のないSEXほど、

心を悲しませるものはありませんし、

せつない無意味なものはないのだと感じます。

 

ただ、宇宙的に見れば、

全ての事において、

良いも悪いもなく、

ただ、それらがあるだけなのだろうけど、

そこから、何かを見つけ、

気づいていくのが人間なのだと思います。

 

もし今、

せつない想いでその行為に従っている方がいるのなら、

それはそこから脱する勇気を出す時であることを気づいてみてください。

 

もし今、

愛のない想いで女性と身体を重ねている方がいるのなら、

それはお相手以上にあなた自身を傷つけている事に気づいてみてください。

 

そして、愛の元にSEXをするのなら、

相手に、お互いに家庭があってもいいのだろうか?

 

と悩んでいる方も多いのでしょう。

 

いわゆる「不倫」という形ですが、

私自身も、過去にご家庭のある方と恋愛したことはあります。

 

けれど、心から愛していたので、

魂は、身体を重ねる事に違和感や、

抵抗がなかったのは事実でしたが、

 

感情は常に、

「堂々とできない」関係である、

という部分にとても苦しんだ記憶があります。

 

けれども、その苦しみを越えて、

その愛するという想いを大切にして貫いたのならば、、

 

わたし的にはそれはそれで真実の愛なのだと思います。

 

恐らく、

それが宇宙の常識であり、

現実の非常識なのだと感じます。

 

けれど、ここには、

その行為自体=魂の想い自体に、

同時に複数進行はありえないのだとも思います。

 

それは、必ずやそれなりの痛みを背負うことになるのだろうと。

 

ただ、現実的には、

形あるものの裏に、それなりに出来上がった責任があります。

 

ただ、責任と義務は微妙に違います。

取れる形も様々でしょう。

 

男性が、女性がそれぞれに、

ご自身の想いを大切に認め抱きしめ、表現しながら、

背後にある責任を自身の一部として抱きしめながら、

個々人で立っていけるようにすることが、結果調和へと向かうのだと思います。

 

それらの中で、

愛は失うことなく、

常にそこにありますから^^

 

ただ、

男と女の間における、

真実の愛は、ひとつです。

 

それを知るために、

或いは、

それに気づいたのなら、

 

本当の男性、

本当の女性になる為に、

男性性と女性性の統合の為には、

本来の素直なセクシャリティを開いていくことが大切です。

 

人は、沢山の人に出会い、関わり、

それらの中でセクシャルについても経験をしていくのだと思います。

 

だから、今までの事を否定したり、

責めたりするのでもなく、

そこから気付けた大切な事達を、

学びとして生かし、

魂の想いを大切にしていく事が、

何より大切な事なのだと思います。

 

その時、どんな感情だったか?

その時、本当は心の奥で何を感じたのか?

頭で考えずに、感じてみる。

本当はどうしたいのか?

 

勿論、そのセクシャルな行為を、

誰彼問わずに勧めているのではありません。

 

その行為に対する、

嫌悪感や、

間違った意識を解放して、

自然に湧き出る想いを大切にして欲しい事がまず専一です。

 

本当に愛し合う者同士が、

自然に寄り添い、

抱きしめ合う。

子供達に見られても、

恥ずかしくない、

愛し合っている姿は、

こんなにも美しく、

素晴らしいのだと、

皆が思える様な、

そんな意識の世界になってくれればと思っています^^

 

魂の声に素直に生きていくことは、

とても勇気がいるものですが、

魂の声に耳を傾けた時、

その声を素直に認めた時に、

初めて人間は、

自身の中にある神性の扉を、

ゆっくりと開けていく事になるのだろうと思います。

 

意を決して少し開けた所で、

何の保護もない、

自分の足で立つことの、

あまりに広い自由な空間に戸惑い、

恐怖を感じると共に、

沢山の更なる気づきを得るかもしれません。

 

その気づきを糧に、

その空間こそが、

魂が望んでいた、

ご自身の創造の場所であり、

歩いていく道であることを、

身体と魂は知っているのだと思います。

 

宇宙の、

創造主の一部であることを、

懐かしく愛おしく、

慈しみ感じながら。

 

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コメント: 6
  • #1

    さらん (木曜日, 08 1月 2015 15:19)

    このメッセージは、mokoさん渾身の作品のように思います。
    自動書記とかチャネリングメッセージを読むことがありますが、
    決してそれを否定しているわけではないけれど、
    なんとなくそれは単に「情報である」という認識になることが多く
    その時自分が受け止められることだけ頭に入ってくるという感じです。
    その他は見事にスル―されていきます。
    でもmokoさんのメッセージは、
    空からの大切な情報をmokoさんというフィルターを通して、
    「今必要が無い、今受け入れられる体制でない」という理由を超えて、
    たくさんの方の中に浸透できる力があると思います。
    これからもたくさん光の発信のお仕事、全うして下さい^^応援しています。

  • #2

    usa (木曜日, 08 1月 2015 16:03)

    ずーっと昔から考えていました。レイに出会ってからさらに深く考えるようになりました。
    時に考えないでおこうと目を背けることもありました。

    愛する人と繋がりたい、ひとつになりたいという想いは強くあるけれど、
    それと同じくらい自分のなかに性に対するブロックがあることに気づいていました。

    まだそれがなんなのかどこならきたものなか、自分ではわからないけれど、性に対する嫌悪や罪悪感みたいなものが、10代の頃から、ずーっとあります。
    だから、それに対して素直になれない、身体も心も開ききれないのです。
    自分のなかに相反する考えがあるような感じなのです。

    たった一人と結ばれることをずーっと夢見てきたのに、それはとても聖なることだとわかっているのに、
    反してそういう行為ははしたないこと、汚らわしいこと、そんな風に感じてきた自分もいます。
    Mokoさんの記事を読みながら自分と向き合っている日々です。

  • #3

    るぅ (木曜日, 08 1月 2015 18:49)

    私にとって、めっちゃくちゃタイムリーな記事です。
    ドンピシャです。
    ドンピシャ過ぎて、びっくりしちゃいました(笑)

    魂からの想いに素直に正直になることとは、
    なんて勇気がいることなんでしょう。。。
    すべてのことから自由になって、魂からの想いに従うこと。
    それには、責任が伴う。
    当たり前の道理ですよね。。。

    私の今向き合うべきところの一つです。
    覚悟をしたつもりでしたが、まだまだ足りませんでした。
    そこに気づかせて頂きました。
    いつも本当にありがとうございますm(_ _)m

  • #4

    kyo (金曜日, 09 1月 2015 10:10)

    先日のMail Sessionありがとうございました^^

    Mokoさんの記事は,私がツインと出会って一年半かけて
    体験してきたことです。
    涙がでてとまりませんでした…
    本当にそのとおりだと思います。

    魂からの想いに正直になって,
    非常識といわれる関係であっても
    自分を信じて,お互いの背後にあるものも全て受け止めて
    何もないところを進んでいく勇気…
    何度も大きな苦しみはあったけれど,振り返れば少しずつ調和へ向かって
    いっている事を感じています。

    素敵な記事をありがとうございました♪

  • #5

    (金曜日, 09 1月 2015 10:11)

    今日は休みなので、朝から拝読して
    またまた熱い涙が笑

    最近、仕事が忙しいおかげもあり、
    心に余裕があまりなく、
    社会的思考に完全に切り替わってる時間がとても多く、
    ふと1人で内と繋がる静かな時間を持ちたいと思っても、
    即寝落ちで笑
    イライラしたり、現実的常識的な物差しでばかり
    彼とのことをはかりがちでした。

    でも、前回のセクシャリティーの記事同様、
    裸の自分、魂の感じるままに正直に彼を愛することを
    思い出させてもらえました。


    ありがとうございます。

  • #6

    サチネコ (土曜日, 10 1月 2015 16:32)

    mokoさま

    この3日ほど、まだ読んでいなかった過去記事、
    ブログの一番最初まで遡って読み返していました。

    大きな変容を、mokoさんの導きを得ながら、
    ここに集うみんなでしているんだな…と感じました。
    すごいですね。
    およそ1人では成し遂げられない混迷の時に、
    お互いの光で照らし合って、螺旋状に上昇している、
    そんな気がしました。

    そこここに叡智が散りばめられ、
    それでこのお題。

    私の中に頑強にある壁?
    正しくあらねば…ありたい、
    と思う信条みたいなものがあって

    でも魂の想い通り進んできた現状と、
    その自分があらねば…と心が縛られる

    宗教的な戒律や道だったり、
    もっと身近に、人を傷つけてはいけません的な社会的道徳から、
    人様の物を欲しがってはいけないという倫理観だったり、

    つまり、すべてひっくるめて良識、常識なのでしょうが、
    そこが合致せず、つらくなってしまうのです。

    どうしても善悪をはかってしまい、
    自分は間違っているのでは、
    悪ではないか、と考えてしまって、
    自分で自分が許せなかったりするようです。。

    それらも、mokoさんが噛んでふくむように伝えて下さること、
    を落とせば、
    宇宙の真理は別にあり、
    過去生や、生育過程で染み付いた教義?を離れ、
    真実の愛の元には自由になること、なのかな。
    もちろん、社会的責任は伴う上で。

    最近、毎日祈っています。

    私が素直に進むことで傷つけてしまった人達へ、

    肉体をもって償えるもの、
    霊性をもって担う役割を全うできますように…。


    手を繋ぎ、抱き合い、キスをし、
    最も神聖な領域を共有すべく一つになる行為、合一
    決して淫らなことではないのですよね。

    今はそこに浸る自分を、対はあえて禁じているようですが、

    それぞれに、己を縛っている縄や鎖、籠めている囲いを、
    一つひとつ認めて、そこから放たれていきたいと思います。


    長文失礼しました。







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