覚醒と神格化と表現の言の葉の大切さ

 

人はみな、

それぞれのタイミングで、

それぞれのプロセスで、

いつかは必ず魂の伴侶に出逢うように、

意識と身体の覚醒をも体験してゆくものです。

 

一度の覚醒で神格化する人間などおらず

覚醒が始まったら、

蝶々の脱皮のように、

死ぬまでに何度も覚醒を味わっていくものだと思っています。

 

それはツインレイの出逢いと変容の様に、

同じものは1つとしてなく、

人それぞれの方法で、

先のブログでも書いた世界樹、生命の樹のように、

肉体と精神と魂が変容を重ねながら、

世界を創造していくように^^

 

覚醒を味わうたびに、

自分が何者なのか、

他者が何者なのか、

その線引きの無さに気づき、

全ての中に愛の光を見出していくことができます。

 

それは、

そこにただ存在している「物」達にでさえも^^

 

抱えきれない程の孤独と

立っていられない程の悲しみと切なさと、

抑えきれない程の情熱や怒りさえも

全てはその愛の光の喜びを知り、

自由になる為にあったのだと気づいてゆくことになります。

 

 

そして、

世界中が区別なく、

地球というガイア意識と、

宇宙からの壮大な光で守られていることに気づきます。

 

誰がすごくて誰が劣っているなんてことは一切無く、

素晴らしき僧侶も、

汚職に手を染めた政治家も、

八百屋で大根とにらめっこしてるおばちゃんも、

鼻垂らしながら笑ってる小学生も、

眉間にしわ寄せながら働いているOLも、

ランチ時にやっとため息ついてるサラリーマンも、

みんな同じ愛の光なんです。

 

みんなおおいなる光の一部であり、

言い換えれば神々の一部であります。

 

己と全ての中に神を見出すことが、

真の覚醒でもあります。

 

だから俺は神なんだ。ではなく、

僕も私も、この人もあの人も、

神の一部なんだ。

と気づいていくことが覚醒でもあると思っています。

 

みんな同じ光でありながら、

そこに気づいているか?

それを己が受け入れて認めているか?だけの違いで、

それぞれの人生や表現に違いがでてくるだけなのだと感じています。

 

人にはそれぞれに沢山の守護がついてもいますが、

高次の存在達というものは、

得てしてそんなにおしゃべりではありませんし、

生きている内に、

試験の回答の様に、

事細かな全てを教えてはくれないものです^^

 

特に日本の神々や、マスターと呼ばれる偉人達は、

実に奥ゆかしくて、主張などはしないものですし、

 

高次になればなるほどに、

本当に短く、

けれど適切な「メッセージ」として、

様々な形と「波動」でもって、

その愛の光の表現の仕方を、

言の葉の大切さを、

改めて思い出させてくれます。

 

覚醒の始まりの時は、

高次も低次も含めて様々な者達が寄ってきますので、

その辺りの波動の違いを、

どうぞ丁寧に見極め、

気づいていかれてください^^

 

私が書いているこのブログも、

日々行っているSessionと同様に、

「言の葉」の波動を大切に綴っているつもりです。

 

どの国にも素敵な言葉達があるように、

せっかく日本人に生まれたのなら、

日本語の持つ言葉の波動さえも、

大切に広げてゆきたいなと思っています。

 

まぁ、漢字は読めないんですけどね^^;(笑)

 

頂くメッセージや、コメントの中には、

様々な表現があり、それもとても勉強にもなっています^^

 

まれに、少し表題と逸れているような、

コメント記載注意事項に記載しているような物に関しましては、

非承認とさせていただく場合もありますが、

それも私の愛の選択の一つと解釈してください。

 

ただ、感じるのは、

私よりも色んな事を知っていて、

表現の仕方も上手な方も沢山いて、

実は、皆さん、

表現したくてたまらないんじゃないかなぁって事^^

 

愛が溢れる=その愛を表現したい

となるものです^^

 

ブログでもYOUTUBEでも、

ヒールでも、アートでも、音楽でも、

料理でも、何でも、

皆さんにしかできない表現で、

その愛を沢山の方へと広げていかれてくださいね♡

 

言の葉の波動のように、

その表現が持つ愛の波動を、

丁寧に大切にしながら^^♡

 

 ※コメントは返信無しの承認公開のみとなりますことご了解ください。

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コメント: 1
  • #1

    mori (木曜日, 28 7月 2016 07:08)

    覚醒や宇宙、神様ごとなどのスピリチュアルな情報に、これまでたくさん触れてきましたが、いくら情報を得ても、何度目の覚めるような覚醒体験や気づきがあっても、最終的にはmokoさんが綴られたような、とてもシンプルに「すべてがそうなんだ」という場所に着地するものなんだと実感しています。
     人それぞれだとは思いますが、私はむしろ、最終のお相手に出会ってからは、それまでのそういった体験や情報のほとんどを手放すことになりました。
     一方、彼とのエネルギー交流を通じて目覚めや気づきはさらに加速しましたが、不思議なことに、もはや空間としか呼べないような高次のエネルギーに触れることと、自分がいっそう肉体という容れ物に着地することは比例していました。

     私は特に、日本の神様存在からのご加護をたくさんいただいているとは感じていますが、答えをくれるのはいつもツインレイであるお相手であり、最終的に頼れるのも彼であり。
     むしろ「ふたり」という一つの宇宙には、どんな高次の存在も介入できないんだということを感じています。この関係はそれほど神聖で絶対的なものなんだなぁと。

     言葉というものについて、この頃考えさせられる機会がたくさんありました。
     言葉は頼りになるものですが、発する誰かの波動をそのまま表現します。
     同じ言葉でも、波動が違えばそこから感じられるものも違います。そして、しばらく、それぞれの言葉からそれぞれの波動を感じる練習をさせられていたのかな、と感じました。そしてそれは、これから自分が表現していくために必要なことでした。
     私も言葉で表現していくことをあらためて始めましたが、それはツインレイ体験についてでもなく、スピリチュアルな目覚めに関することでもありませんでした。
     私の対のお相手がそうであるように、ただ生きることの中に愛を表現していく、ということみたいです^^

     高次になればなるほど、伝えてくれる情報や波動はシンプルで軽いものになるというのが実感です。
     複雑さや真剣さが薄れて、むしろ単純でユーモラスな波動だったりし、指導したり評価したりはしないものなんだなぁと。
     高次に行くほど言葉少なになっていく、そんなふうにも感じています。

     テレパシーってなんだろう?と、ずっと考えていました。
     対の彼とはエネルギー交流から始まったので、見えない世界でいいからはっきりと言葉を伝えてくれたらとどれだけ願ったことか。
     でも、彼から伝わるのは結局「愛している」という波動だけでした。世界にはまるで、それだけしか言葉が存在しないとでも言っているように。でも、それほど確かで安全なこともなかったと、今では思っています。
     彼の「愛している」を体感として自分に落とし込むことで、インスピレーションのようにやってくる精妙な情報を選別しながら、自分の思いに従って動くことが彼との現実も作っていくというのが実感です。それが、彼との愛の共同作業なんだと感じられるのです(フフフ)。
     そう考えると、ツインレイ体験とは、究極の現実創造体験なのかも知れません。

     愛は引力。
     愛するだけで、すべてが起こっていくんですね。
     

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