プライドと不安は本当はいらない

思えば、昔の私はプライドの高い女だったなぁ。

とつくづく思います。

 

こうあるべきでしょ。

これは違うでしょ。

男ならここはこうでしょ。

 

と、何故かしら男目線で沢山物事の定義を考える程に、

プライド高いおとこおんなで^^;

 

弱きものは守り、強きには立ち向かう。

なんだかそんな信念がどこかにあって。

 

だからか、女子からラブレター貰ったり、

結婚してほしいと言われたり。

ずっとそばにいてね。とウルウル目で言われたり。

 

え?!ななな??て感じで。

一応私自身は、根底は女のつもりでいたわけです。

 

ただ、普通に行動してるのに、

高校辺りから、やたらにエロいだのなんだの言われ。

 

それが嫌でGパンばかり履いたり、

汚い言葉使ったりした時もありながらも、

どこかでとてもクールに男性達を見下した目で見てたり。

 

つまりは、あたしが男ならこんな時こうする。

という定義や、

武士女(勝手に命名)ならこんな時はこうでしょ。

という思考はスラスラと出てくるのに、のに、

 

普通の女ならこんな時どうする?

という事を、実は全くわかってなかった気もするのです。

 

けれど、思い返してみると、

ツインソウル達に出逢いだしてから、ゆっくりと変容し始めて。

 

武士女なはずなのに、時折自然に自分でもゲロ吐きそうな程の女が出てきて。

 

甘えたり、すがったり、拗ねたり、

ヤキモチ焼いたり。

 

え?今の誰?あたし?

と、戸惑い始めた事を懐かしく覚えています^^

 

自ら飛び込んだ母子家庭という状況も相まって、

何でも一人でこなさなきゃならない。

とーちゃん役もかーちゃん役も。

重い物持つのだって、高い所の電球替えだって、

重要な決断だって、何かの尻拭いだって、全部一人で。

わーるいけど、恋なんてしてられません。

なんていきがってた。

 

ツイン達に出逢うまでは。

 

なんて思ってるのに、ちゃんとタイミング毎に出逢っては、ボコ、ボコ、て、隠し持っていた、いわゆる毛嫌いしてきた類の女が出てくるわけです。

 

心の奥底にある、

本当は、淋しくて淋しくて不安でたまらない想い達。

 

同時に、嫉妬やら怒りやら自己否定やらを、

散々味わい尽くし、解放しながら。

 

それに伴い、出逢う方々は、

魂の絆の深さ・近さがどんどんと縮まってきて。

 

わかりやすく言えば、

絆の深さと、魂が記憶している悲しみや絶望の深さが、

比例するかのごとく深くなっていった気がしています。

 

そんなこんなで、

ようやっと今に至るのだけど、

ここにきて思うのは、

プライドなんてのは、最初からいらないんだなぁ。と感じます^^

 

それが邪魔して、どれだけ素直になれなかったか、

受け取るのが下手だったか、甘えるのが下手だったか。

せっかく女で生まれたのに、全然女じゃなかった笑

と、今は笑えるくらいに理解できます^^

 

蓋していた色んな女の部分と、持ち合わせていた男な部分を散々混ぜクチャにしながら進んできて、突出していた部分は解放され、奥深くにしまい込んでいたものもやっと浮上できては解放され、少しずつバランスが取れていく。

 

自身の内にある男性性と女性性の統合は、

そんな光と闇の統合でもあるんです^^

 

さて、じゃあ今、バランスも取れて、

甘え上手になれたのか?素直になれたのか?

と問われると、まだまだかもしれないけれど、

数年前に比べたら、全然違うかなぁと感じています^^

 

うーん。。何故なら、

以前よりも、淋しい時は淋しいと言えるし、

そばにいて。て、素直に伝える事ができる。

これはできない。これはできる。

そこは無理。これは大好き。

と、ちゃんと正直に、建前抜きで言える。

 

頑張りたくても頑張れない時は、

歯をくいしばり、

涙こらえて頑張るのではなく、

まずは、あたし、もう頑張れない。

と、ちゃんと伝える事や、表現ができる。

 

腹が立った時も、

グッと大人になって我慢するのではなく、

そこ、本当にムカつく。と言える。

 

愛しい人に、愛しくてたまらない。

て、ちゃんと言える。

 

逢いたくてたまらなくて、

逢いたいよ。逢いたいよ。

と、ちゃんと伝える事ができる。

 

逢いたくて、どこまでも行ける。

 

こんな風に、以前なら考えられない表現や行動をしでかす自分に、毎年新しく出会ってきたように思うんです。

 

10年くらい前から振り返ってみると、

最初は、ヤキモチ。。

ヤキモチなどほとんど焼いたことがなかったのに、

ずーっと良からぬ妄想が膨らみ、頭がいっぱいになり、

そうなんでしょ!なんて勝手に怒って、勝手にいじけたり。

妄想対象になった女性を見かけたら、目で殺したり

数秒の視線だけで殺意に似た憎悪の火花を送っちゃう。

なんて事も。。

 

次は、強欲、自惚れ、傲慢さ。

私だけをみて欲しい、私だけを愛して欲しい。

なーんていう強欲さや、

何しても怒らないよね?なんて、

今考えるとヒェーとなるような自惚れや傲慢さもがっつり出ました。

 

その次は、すがってすがって待つ女。

何時間も待ち伏せしたり。。。

怖すぎますよね。。

 

大体、どれもこれも、自分がされたら嫌なくせに、

それを当時はやっちゃう自分がいて。

これまでの私ならば、あり得ない事だらけで。

それを、この手足が、口がやっちゃうもんだから、

一体何をやってるのか理解不能なまま感じるままに動いていた。

 

だけどね、全部やりきったら、

ひゃーあたしすごい事してきたな。。

こりゃ申し訳ない。大変申し訳ない。

本当に本当にごめんなさい。

と思うと同時に、それらの行動の火種となった感情達がゼロになっていることにも気づくわけです。

やりきったんだ。。

だから、ちゃんと解放されたんだ。と。

 

そして、以前はこういう事する女性達が不愉快だったのに、見事に許せるようになるんです。

うんうん。そういう時もあるんだよねぇ。と。

必死さの裏にある切ない想いさえ痛いほどに共感できるから、女としての一部分として、愛しくさえ感じれるようになったり。

 

これは、男性達の恐ろしいまでの嫉妬や束縛、支配欲にも繋がります。

お相手達から、同じような想いが届いても、

いやいや、あたしだっておんなじだったもんなぁ。。と。

だから、そんな感情や行動ごときで嫌いになったりドン引きなんてしない自分にも、

はたと気づいたりもしていくものです。

 

そして次に、考えられなかったのは、

公の立場の方にここまで熱を入れる事。

 

アイドルとか、芸能人とかは元々ふーん。。

て感じで興味がなく、どちらかといえば、

洋楽や少しマニアック的なミュージシャンが好きで。

 

小学校〜中学時代は、ビートルズや、ビリージョエル、マイケル、キッス、クイーン、ツェッペリン。。などなどのメジャーな洋楽にハマり。

 

邦楽では、佐野元春や、浜田省吾、シナロケ、、という、

周りのみんなとは少し違う嗜好で^^;

 

聞いたりギターで弾いたりは好きだったけど、

ライブは、友達が誘ってくれて行く。というものでした。

 

そんな私が、1人でどんどんライブに通い、

通い、通い、どこまでも行っちゃう。

逢いたい、それだけの為に、どんなに遠くても行っちゃう。

なんて事は、以前の私からは考えられないほどの行動なんです。

 

常に、誘われたら行こか。くらいで、足繁く通う人見て、ほーすごいね。と思ってたのに。。。

 

加えて、現実に口約束したわけでもないのに、サインが来て、ここに行けば会えるかも。ならばいこう。どこまでも。感じるままに。

 

なんて、昔の私が聞いたら、

いやいや、ちょっと冷静になった方がいいよ。少し休んだ方がいいよ。

と、真剣に諭してたかもしれない笑

 

魂の感じるままに、正直に動く。とは、

それくらいの行動力も伴ってきたりしちゃうものなんです。

 

ましてや、歳下との恋愛なんぞ恋愛にはならない。。

なんて思っていた私の出逢う方々は、

その概念を真っ向から打ち砕くかのごとく皆さん歳下で。

しかも、出逢うたびに年齢差は開いて。。

 

いや、これは。。

いや、それはちょっと。。

いや、その行動はどうなんだろう。。

いや、その設定はどうなんでしょー。。

 

と、敬遠していたもの達が次々にワンサカやってきては、

その概念を根こそぎ破壊していったような感じです^^;

 

そのたびに、目には見えない要らぬプライドは剥がされ。

自分でも、あー重い。と、沢山のサポートを借りながら、

自然に脱いできたようにも感じます^^

 

こんなことも、あんなことも、

色んな事しでかしてきた私ですが、

全ての出逢いと体験は、

その裏にある様々な気づきや解放、癒しの為にあった事が、

今ちゃんと理解できてる事が、何より嬉しいなぁと思います。

 

その引き金になったのが、

やはり右側の伴侶との現実での繋がりだったと思います。

 

これまで何年もの間歩いてきて、それなりに気づきを得て進んではいたものの、

わからないままの事や、なんかスッキリしない部分達も沢山あって。

 

何せ、見えない世界。

科学的証拠で100パー証明しろ。と言われても、

それは第三の目や、第六感で感じる物だから、

難しいっちゃ難しい。

 

身体の感覚。奥の意識では腑に落とせていても、

思考、脳みその部分で納得する事は、

やはり体験しないとわからないものだったり。

 

それが、右の伴侶と現実で繋がってからは、

その繋がりの深さとめくるめく年月と、

遠い過去からの愛と絆に気づけた時、

散らばっていたパズルがふわ〜っと集まるかのごとく組み合わさり。

愕然とし、涙し、震えて。

 

更なる深い過去の痛みをゆっくりと共に癒しながら、

これまでの伏線を回収していくように、

過去、現在、未来と全てが一筋の糸の様に繋がってゆきました。

 

その驚きも感動も、喜びも、愛しさも、

拭えないほどの悲しみや痛みと共にやってきては、

めくるめく感情達の放出と、癒しを、

気づけば2人だけではなく、左、仲間達と共に支えあいながらやっていて。

 

それは、決して奢りではなく、

神々しいほどの繋がりである事を痛感しています。

 

このツインの出会いは、2人の統合、

鶴と亀の統合でもあり、

カゴの中の鳥、アマテラス的存在である女性達の真の女性性の開花、創造性の開花でもある事。

 

過去世と現世これまでの全ての感情を癒しながら、

互いに透明になり、

その霊性からくる創造の魔法で、岩戸を開ける。

 

これは、神話上、イザナミが黄泉の国から出られる事と同じ事でもあるのだろうと感じています^^

 

その扉を開く事をサポートする神話上の神達が、

伴侶を始め、その次、その次に近しいフレーム達で。

 

それが、今現に繋がっている伴侶以外の近しい絆の方々で。

近しいフレームだと感じる公の方達も含めて、

そんな強力体制の中で導かれています。

 

といっても、間違えたり、勘違いしまくりで、

あいかわらず落ち込んでは自身のアホさ加減に呆れたり、

繋がっている方々をヒヤヒヤさせたりしてますが^^;

 

なので、

細かな過去世のすったもんだは省いて、

神話というわかりやすい設定で説明すれば、

アマテラスとスサノオの喧嘩、

アマテラスとツクヨミと喧嘩、

イザナギとイザナミの喧嘩、

の合計3回、大きな別れと、死にそうな意識を、

体験、体感するのだろうと思っています。

 

簡単に書くなよ。て話しだけど、

決して渦中にいる時は簡単ではなく、

本気で死にたい、もうダメだ。という意識も肉体も体感する事になるだろうと。

 

けど必ず、伴侶始めサポート達、高次達、身近な仲間達によって、本気でそうならないようにもっていかされる事にもなっています。

 

そのサポートの愛の光は、

言葉では上手く書けない^^;

 

けれど皆さんも体験していくのではないかなぁと、

或いは、もう体験されているのだろうなぁと感じています^^

 

そして、これは余談ですが、

先日ふと気付いた事。

 

何故かしらここ最近、

身内、親戚との繋がりが密になってきて。

 

ふと気付いたのは、

私の旧姓、つまりは父方の苗字の文字は、

伴侶のあだ名でもあり、文字を合わせると伴侶の苗字の文字になり。

 

母方の旧姓は、この神話の真髄の文字が入っていたり、

母方の田舎は、伴侶の田舎だったり。

 

近しいフレーム達の苗字に、私の今の苗字の文字、

母方の旧姓の苗字の文字が必ず入っている事に気づき。。

 

全ては、綿密な計画とカラクリの元、

今に繋がっているのだなぁ。と、

改めて感じ、感嘆の想いでいます。

 

生まれた土地や育った土地、

住んでいた土地や働いていた土地など、

必ず皆がどこかで交差している。

ちゃんと時間のズレも計算しながら笑

 

見事としか言いようがないです(°°)

 

とても長い長い年月をかけて、

神さま達と共に、冗談まじりの、

けれど壮大なお話しを描いてきた様に感じています^^

 

皆さんのストーリーも、

同じように神々しいエネルギーの元、長い年月をかけて、

伏線をあちゃこちゃに落としながら進んでいるのだと思うのです。

 

今はまだわからない事も、

必ず数年経って一気に紐解けたり、

一週間後に大ヒントを貰えるのかもしれなくて。

 

とーっても大変な道のりだけど、

信頼してやりたいように歩いていくだけで、

沢山の気づきの中、沢山の謎も、

その欠片達が宝となって手元に残り、

一筋の光の糸として繋がっていくのだろうと思っています^^☆

※コメントは、返信無しの承認公開となります事ご理解ください。なお、ツインブログ荒らし等の批判中傷はお断りしています。

Moko著BOOK

Shop《New & Sale》

Work Shop☆彡

MokoのLINE Official Account

ブログやスタエフの更新やWork shop・遠隔Healingのお知らせをしています☆

友だち追加