グランブルー

 

あっという間に2月になっちゃいましたね^^;

 

そういえば今日は、

令和2年2月2日。

2020年2月2日

 

222尽くしの統合のぞろ目ですね^^

 

そして明日は節分。

明後日は立春。

 

この数日の中で、

新しい節目へと転換するべく、

波動が、流れが大きく変わっていく事を実感している方も多いのではないでしょうか^^

 

私はと言えば、

まだまだ肌に使うもの達のアレルギー脱出作戦に悪戦苦闘しているのだけど、

節分、立春が節目だな。とも感じていて。

 

それまでのめくるめく詳細は、

また追って書くことにします。

 

この流れの中、前回も書いた通り、

ツインのお相手達と、

三つ巴の神話の体験、

イザナギとイザナミの体験の後、

黄泉の国の体験を脱出するのに、

行きついた先が、

瀬織津姫のエネルギーの復活、

レムリアの青の光の復活。なのだけど、

最後の二つがどうもイコールのエネルギーで。

 

ここの所は、その部分を深く深く感じる事に集中していました。

 

要は、様々なアレルギーの解放の作業と共に、

更に深い内観作業のようなもの。

 

その深い青の光は、

 

深い深い海の底にありました。

 

青の光は、銀河の様でもあり、

眩いほどの青い光の渦でもあり、

青い炎でもあり。

 

そこで目にするもの、

感じる感覚、

青い光の粒子の渦、

目の前にいた、

長い長い髪の右の伴侶。

 

その光景は、

銀河の中で出会っていた時と同じ光景で。

レムリア時代のものと同じでもありました。

 

青い光の中にいる私たちそのものが、

クリスタルとなって輝き光を放つ。

 

それは、レムリアの青の光でもあり、

瀬織津媛とニギハヤヒの対のエネルギーでもありました。

 

その記憶に触れた時、

また過去の経験と繋がって。

 

まだ20代前半の頃に観た映画。

リュックベンソン監督の「グラン・ブルー」

 

当時、結構流行ったのだけど、

皆さん知っているかな?

 

実在の方をモデルにした「潜水夫」の物語で。

その映像は、ただただ青、青、青。

深い深い青の中に入り込んでいくもの。

 

当時、なんだか妙に惹かれて観たものの、

その深い深い青に向かっていく映像を、

とっても複雑な心地で観ていた事を覚えています。

 

観た後の感想が一言でうまく言えない。

勿論、映画自体はとても良かったのだけど、

 

懐かしかった様な、

それでいてとても怖かった様な、

頭の中が破壊される様な、

少し気持ち悪くなるような、

なのに、その青に強烈に吸い込まれ、脳裏から離れない感覚で。

 

何年経っても、その不思議な心地は、

ずっと記憶に残っていて。

 

あぁ、ここに繋がるんだ。

やっとまた繋がった。

そんな風に感じました。

 

それは以前にも書いた、

幼い頃に強烈に惹かれた

「海のトリトン」も同じだし、

ツイン達と現実で出会い始めた頃に、

一番最初に手にしたクリスタルは、

青い青いフローライトだし、

夢に何度もでてきた扉の向こうの青い光もそうだし、

果てしなく広がる空を眺める事が大好きだし、

海に呼ばれ、惹かれる事もそうだし。

 

 

私の中の感覚では、

空や海は銀河でもあるし、

銀河は深い海の底の青い光でもあり、

その青い光は、レムリアの青い光でもあり、

青いクリスタル達は、その記憶を呼び覚ますものとしてなくてはならないものだし、

クリスタル達は、レムリアンクリスタルをはじめ、レムリア時代から共にあった大切な私の一部で。

 

大好きな蝶々や鳥や虫や生き物達は、恐らく人間よりも純粋極まりない波動の光として、レムリア時代と同じように私にとっては大切な繋がりの存在で。

 

ツイン達に現実で出会い始めた頃から、

まだ会社員だった私は、

夕暮れ頃になると仕事の手を止めて、

会社のビルの大きな窓に広がる夕焼けを眺めては、涙ぐんでいたこと。

 

陽が沈む瞬間から沈んだ直後の、

多次元と繋がる、かはたれどきに惹かれたのも、

大好きな海辺の夕焼けも、

レムリアでいつも眺めていた愛しい眺めなのです。

 

このかはたれどきは、

薄暗くて顔がよく見えない事から、

夕刻や夜明け前のうす暗い時間帯を指した刻を言う言葉で、後に、夕刻は黄昏時、夜明け前をかはたれどき、と区別するようになったらしいのだけど、

個人的には、どっちでもいいやん^^;と感じていて。

感覚的には、夕刻の方が合うなぁと思っていたりします。

 

それは何故かというと、

これも魂の記憶からなのだけど、

レムリア時代=太陽神信仰時代、一日の始まりに陽がのぼり、綺麗な夕暮れと共に陽が沈んでいく。その瞬間こそが、一日の「感謝の時」として、いつも眺めていた。という記憶からくるものなんですよね。

 

あくまでも個人的な記憶ですけどね。

 

ただ、黄昏時は、異次元と繋がる瞬間として、「魔が時(まがどき)」、「逢魔が時(おうまがどき)」とも言われていて、神隠しや魔物に遭遇する、なんてことも古くから言われていたりしますが、、

個人的には、多次元に繋がる瞬間を本能で感じた昔の人達が、「怖い」という恐れから、そんな風に言い始めたのかなぁ。とっても神聖な瞬間なのに残念な言われ方だなぁ^^;とも思っています。

 

映画「君の名」はでも、三葉と瀧くんが出会う瞬間に、この「かはたれどき」を、敢えて「かたわれどき」として使用していますよね。

 

これは、「片割れ」に繋げるものとして、敢えて「かはたれどき」を「かたわれどき」として使用しているんだなぁ。と個人的に感じています。

 

話は、どんどん広がっちゃいましたが、

魂の記憶を呼び覚ます為に、

心に残ったもの達は導きとなり、

ひとつひとつ長い時をかけて線となって繋がっていきます。

 

 

人それぞれ生まれた時代によって、

導くサインは、違うアニメや映画や本にもなれど、

体験の中で、それらは心のどこかにちゃんと印をつけていて。

タイミング毎に思い出され、謎が解けていき、

これも、あれも、と繋げていって、

一本の線にしていくのではないのかなぁと思います^^

 

※コメントは、返信無しの承認公開のみとなりますことご了承ください。

 

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